中教審の審議

 中教審の審議が加速してきました。普段なら、会議案内は翌月分しかなかったのですが、今回送られてきた案内状は9月から12月分まで予定がびっしり入ったものでした。また、教育再生会議もこれから毎週開かれるということのようです。

 審議が進む内、次の教育の骨格がかなりはっきりしてきました。その内容が十分なレベルのものになるかどうかは、まだ不透明ですが、少なくともその方向性は、現実の問題を解決する方向であるものになってきていると思います。そうなる背景には、現実に成果を出している人々が中教審に入り、本気で議論していることがあると思います。ずいぶん混乱が長引きましたが、ようやく出口が見えてきたという感じです。

 昨日の審議で、一番話題になったのは、英語教育の問題です。まず、今まで小学校の英語教育は言語教育か、国際理解教育かという意見の対立がありましたが、ほぼ言語教育として位置づけられるような流れです。というのも、総合的学習の1時間が英語の時間として使われることが提起されたからです。総合的学習の時間が残った以上、国際理解教育はそちらで学習し、英語の時間は言語スキルの学習に特化すべきというように分担をしようというのです。

 ただ、問題はそれが指導できる教師が揃えられるかということです。理想的には英語の指導できる教師を新規に採用したいところですが、予算がありません。審議の中では今後の課題ということになりましたが、私はそれはICT機器活用が切り札になると思っているのですが・・・。

2007年09月12日

不適格教師について

 最近、一番強く感じていることは、俗に言われる不適格教師の問題です。私は、現場の教師の努力をよく知っていますから、今まで現場教師を弁護する論陣を張ってきました。そして、その結果、がんばる先生を支援しようという声はずいぶん大きくなってきたと感じています。しかし、それでも全体的には学校への信頼が高まっているようには感じられません。いったい何が足りないのでしょうか。

 それを考えていて気がついたのが、不適格教師の問題です。

 今回行われた教育夏祭りのシンポジウムでも、水泳の指導のとき、先生がまったくプ-ルに入らないという学校の話が出ました。そこでは、何と教師のかわりに保護者にプ-ルに入って指導してもらったというのです。絶句しました。

 あり得ないことです。あと少しで25メ-トル泳げるという子は、先生にリ-ドしてもらってこそ、もっとも早く泳げるようになります。教師が子どもの前に立ってリ-ドすれば、水流が起き、子どもは進みやすくなります。そして、絶えず励ましながら泳がせ、プ-ルの向こうの壁にタッチさせれば、子どもは自信と教師に対する信頼を得るのです。
 
 私は、なぜ教師の努力は報われないか、それを考えてみました。反省です。すると、ひとつ大事なことを見落としていました。それは、そうした不適格な指導や教師に対して、自分は何も対応していなかったことです。

 確かに、私の経験から言っても、いい悪いの評価を超えた、不適格な人間が教師をやっていると思ったことはあります。そうした教師のために、私自身が苦しみぬいたこともあります。しかし、それ以上ではなかった。つまり自浄作用を働かせることはなかったのです。

 学校に対する一般社会の苛立ちの最大の理由はここにあるのではないか、最近そう思うようになってきたのです。きっと多くの方は、今頃そんなことに気がついたのかと、あきれられるでしょうね。

 確かに、たとえいい教師がたくさんいたとしても、不適格な教師に当たってしまっている親子にとっては何のなぐさめにもなりません。問題は、そうした不適格教師に対する対応が整備され、改善されるという確信が持てないことでしょう。

 そのために、免許の更新制も入ってきました。それは、自浄作用が働かなければ、劇薬を飲み込まされざるを得ないというシグナルではないでしょうか。

 そのことについてある教育長とも話しましたが、やはり今の教師は手厚く保護されているため、その対策のためには、他の仕事を犠牲にするほどの労力がいると話されていました。そういえば、私もある教師の問題を見かねて、校長に何とかしてくれと話したことがありましたが、そのときは逆に訴訟を起こされたら、どうにもならなくなると言われ、異動ですまされてしまいました。しかし、その問題はその学校間の保護者同士の話で伝わっており、いかにも学校がその先生を守ったというように見られてしまったのです。

 ただその一方で、非常に問題の多い校長のもとで苦しんでいる教師もいます。ゆとり教育の時代、百ます計算をさせただけで、厳しく叱られ、なおかついじめられたという教師の悩みの相談を受けたことがあります。

 難しい課題ですが、ここを乗り越えない限り、学校が真価を発揮するのは難しいと思います。つまり、ここが最大の課題だということではないでしょうか。

2007年08月27日

夏休み終了前に行って欲しいこと

 夏休みが終わりに近づいていますが、この時期に行って欲しいことが3点あります。

 まず、“早寝早起き”の生活習慣を、もう一度きっちり行ってください。長期休暇にはどうしても、遅寝遅起きになってしまいます。ただ、目標もなく、単に早寝早起きを実行すれば良いという訳ではありません。2学期からの生活に目標を定め、2学期から実行しなくてはいけない時間に合わせて行ってください。

 次に、2学期にどのような学習をするのか、その内容を、教科書や参考書などで確認してください。予習と聞けば、未学習の問題を解くといったイメージですが、そこまでしなくても良いのです。どのような学習をするのかをざっと見るだけで良いのです。運動会や文化祭といった、学習が一時滞る行事がこれからありますので、どの様なことを学ぶのかを知ることが重要となります。そして、学習計画が自分自身の中で出来てくることも大切です。

 最後に、夏休みの宿題についてです。休みが終わりに近づくと、家庭で問題になるのは、宿題が出来ているかどうかです。出来ていないと、つい、子どもに厳しくなってしまう親御さんもいらっしゃると思います。ここで問題となるのが、宿題が出来ていない子どもが、学校に行きにくいと感じ、不登校傾向になることです。また、学校へ行くと言いながら、他の所へ出かけるといったことも起こります。学校の教師側からすると、やはり宿題が出来ていることに越したことはありません。しかし、先ほど述べた問題が起きることを心配しています。教師からすると、宿題が出来ていない子どもがいることは、毎年のことなのです。ですので、宿題が出来ていなくても、「宿題はもう少しかかっていいから、とりあえず学校に行っておいで。」というふうに送り出してもらいたいと思います。

 残りわずかな夏休み、是非、価値あるものにしてください。

2007年08月21日

教育夏祭り

 一昨日、東京港区で行われた教育夏祭りが終わりました。数百名の人々が集まり、よき授業をみんなで作り、楽しみました。

 この企画のおもしろいところは、政治家や文部科学省、教育委員会や校長、一般市民、子ども達、企業など、いろいろな立場の人たちが個人で集まり、交流するところです。

 私は、今回は理科実験のコ-ナ-と、DSの百ます計算、そしてシンポジウムを担当しました。理科実験は、学研から出しているおもしろ実験満載の「理科トレ」という本の中から、数種類の実験を行い、親子で楽しんでもらいました。

 今回も、非常に目立ったのは、若い学生さんの活躍でした。別に教師志望というわけでもなく、自然に教育に関心を持ち、がんばってくれました。意外といっては失礼ですが、私たちの学生時代以上にしっかりしていて、テキパキ動いてくれているのが印象的でした。そして、その若者達の動きに刺激され、私たちの方がしっかりしないといけないと思えました。

 ただ、私の方も再生会議はじめ仕事が増えてきてしまっているため、十分こちらに力をいれられなかったのですが、何とか来年はがんばろうと思います。

 みなさんのこれからの協力をお願いします。

2007年08月07日

シアトルは素晴らしい

 今回のアメリカ視察では、イチローが所属するマリナーズの本拠地、シアトルにも行きました。日本で例えれば、尼崎や川崎。私が抱いていたシアトルのイメージは、そういった工業都市でした。岡山での学生時代、私は水島のコンビナートで輸出する製鉄の検品のアルバイトをしていました。その出荷先がシアトルだったのです。イチローがマリナーズに移籍した時も、「そんな街に行ったんだ」くらいにしか思っていませんでした。

 ところが、実際に行ってみたシアトルの街というのは、抱いていたイメージとは真逆でした。日本でイメージするならば、函館が最も近いでしょうか。海、湖、山脈があり、そして美しい港もあります。そんな街には芸術家も集まり、そのためか、整備のされ方もアートがかっています。そんな街に住んでいるためか、人の心にもゆとりが感じられました。 たとえば、信号がきっちりと守られているだけではなく、通行量の少ない道路では信号がなくても、人が渡ろうとすると車が自主的に止まってくれるほどです。銃の乱射が報道される同じ国とは考えられないくらい、非常に穏やかな街で、私が描いている「住んでみたい街」のイメージとピッタリでした。とにかく文句のつけようがありません。

この街は豊かでもあります。街の規模自体は小さいながらも、マイクロソフト、ボーイング、スターバックスコーヒーという3つの国際企業が本拠地を置いています。日本のように、全てが首都東京にあるのではなく、それぞれの街から密着出てきた企業がそのままその土地に密着して本拠地となっているのです。全てを東京に集中させる日本と比較した時、考えさせられるものがありました。また、シアトルの美しさに合わせたかのような、企業の形があり、そこにも感動を覚えました。

 そんなシアトルの街並みで、一番感心したのは地図屋さんとおもちゃ屋さんです。知的な品揃えとなっており、非常に刺激を受けました。これまた一方で「子どもにたし算をどう教えるのか?」という質問が出る同じ国とは思えませんでした。

 シアトルの郊外にあるマイクロソフトにも行きました。社内ではソフトドリンクが飲み放題ということもさることながら、一番驚いたのは、ほとんどの人が午後6時には退社してしまうことでした。成長している企業だからできるのでしょうが、どこか心にゆとりが感じられ、人間が人間として生活を楽しんでいるように思いました。その光景を見ながら、老後の年金を気にし、自分たちの今の生活を楽しむ人が少ない日本でも、少し発想を変えるだけで、そういった生活ができるだろうな、などと考えていました。

今回のアメリカ行きのみならず、世界中を回ってみて思ったことは、日本の風景は、世界の様々な所と比べてみても、非常に美しいところが多いということです。日本の美しさには大いに自信を持っていいでしょう。緑が豊かで、美しい水がふんだんにある所はあまりありません。水道の水が飲めるということは、水道の技術が発達していること以上に、日本のもともとの水がきれいであるからです。そういう点でも、やはり日本人はもっと豊かで幸せになれるということを考えなければなりません。

その昔の江戸末期、外国人は「しかし、なんとこの国の民族は皆幸せそうな顔をしているのか」と言ったそうです。海外から見れば日本人は、持っているものは豊かとは言えなかったにも関わらずです。

私は、今の日本人が、せかせか動いているのは決して日本人の特質や伝統だとは思っていません。むしろ、以前からすると、今は特殊な時代にきていると考えています。私たちは、この国でもっと幸せになっていいと思うし、幸せになるために何が必要か考える必要があります。そうすれば、そんなにあくせくする必要はないでしょう。

バブル時代、金銭的には豊かでした。しかし、その中で生まれたのが過労死でした。決してくらしが豊かになったとは思えません。金に任せて、ピカソなどの高額の絵を買って世界中のひんしゅくをかいました。お金があれば、幸せではないと言うことをそこで我々は学んだのです。

反対に、今は非常に苦しい状況ではあります。しかし、その気にさえなれば、実は私たちはこの国で幸せになることができるのです。今の日本人は幸せになろうとしているでしょうか。例えば少子化が平気になってきているこの現実を見ると、そうは思えません。

私の願いは、子どもがいることの喜びを多くの人に感じてもらうということに尽きます。喜びを感じてもらうためには、子どもが伸びることが重要です。そのために、私は学力づくりに心血を注いでいます。

シアトルで幸せそうにしている人を見ると、日本人の今の生き方について危惧せざるを得ませんでした。

2007年08月06日

アトランタの発表で感じたこと

 ※アトランタでの発表論文 ⇒ KageyamaMethod.pdf

 アトランタでは私の実践発表を行いました。発表後には、アメリカの先生との交流会がありました。彼らからの相談にのってみると、その悩みというものが私たち日本の教師から出てくるものと似ており、思わず苦笑いをしたものです。「百ます計算をすれば良いですよ」、「早寝、早起き、朝ご飯も大事ですよ」というアドバイスにも皆、「その通りだ。百ます計算は面白そうだ」と非常に好印象を持ってくれました。

 しかし残念なことに、その声が「百ます計算をやろう」という積極的なものにはなりませんでした。なぜなら、彼らの悩みと、私たちの悩みは似て非なるもので、根本的に大きなズレがあったからです。彼らの悩みとは、“小学校6年生に足し算をどう教えたらいいのか?”というものなのです。「百ます計算は、アメリカの子ども達にとって高度すぎる」とアメリカのある先生のは言っていました。

 現在、“陰山メソッド”を英語入力し、googleで検索すると、数件ヒットします。そのうちの1つは、この発表に参加していた、ある西海岸の先生のサイトです。徹底的に私のことを調べてくれていて、うれしく思いました。そのなかで、“陰山メソッドは、典型的な集団教育なものと言うふうに錯覚をしていたけれど、論文を読んで、実はそうではない。ものすごく合理的、科学的だということがわかった”という内容のことを書かれていました。一方で、“9月からこれを実践してみたいのだが、どうしたらいいか?”とも書かれています。‘基礎的な計算に課題を抱える中で、どのように百ます計算を活用していくのか’、その答えを見つけ出すことが彼らの願いであるのでしょう。

 教師の熱心さという点では、日本もアメリカも同じです。例えば、アメリカでは教師向けの研究会に、1万7千人もが宿泊を含めて自費で参加しています。しかし抱えている課題の違いの大きさには、正直戸惑いました。比較的楽観視していた海外との教育交流について、考えを改めなければならないようです。

 そういう意味でも、このアトランタでの体験は、非常に大きなものでありました。

2007年07月27日

アメリカへ行って一番ショックだったこと

 アメリカへ行って一番ショックだったこと。それは通貨としての円の弱さです。日本で為替を確認した時には1ドル120円代だったのですが、アメリカ現地で両替するとそれよりも高く、手数料も含めて、なんと1ドル139円程度かかってしまいました。

 アメリカには、治安上の理由でドリンクの自動販売機がありません。どうするかと言えば、我々が自動販売機でドリンクを購入するのと同じように、スターバックスコーヒーを利用します。移動の飛行機の中でも、研究会で配られるのも、ほとんどがスターバックスです。日本における自動販売機と同じように、スターバックスが非常に普及していました。肝心の値段ですが、コーヒー1杯が3ドル程度。円で計算するとだいたい420円くらいです。海外に行くと物が安いという感覚を持っていた私にとって、やや割高感がありました。

 この時思い出したのが、先日読んだ『ひきこもり国家』(宝島新書、高城剛)という本です。クリエイターとして活躍している著者が、世界中を見て回っているうちに経済について考えたという、ある意味異色なものです。その中で、日本は国内のことばかりを見ていて、世界からどのように見られているか意識することがない、と指摘されていました。

 もともと島国であることからの気質もさることながら、昨今の政治情勢で、さらにその傾向が強くなってきているのではと私も思います。その結果、何が怖いかと言うと、‘経済大国日本’というかつてのイメージのままで、今の日本をとらえてしまうことです。

 今回のアメリカ行きで、‘経済大国日本’というものは、かなり危ないレベルに来ていると実感しました。缶コーヒー感覚で利用するスターバックスコーヒーが400円以上すること。ホテルに泊まっても、かつての割安感がないこと。タクシー料金も高く感じてしまうということ。また、これは聞いた話ですが、イギリスでは、現在地下鉄の初乗り運賃が日本円にすると千円以上かかってしまうそうです。ちょっとしたアパートを借りるのも、家賃が最低30万円くらいかかってしまうそうです。

 かつて、世界から日本は「物価が高い」と言われていました。単純に物価が高いということもさることながら、円が強かったということが大きく影響していました。かつて、英国病と言われたものが、今、日本を襲い始めたのではないでしょうか。

 背景の一つとして考えられるのは、グローバリズムであろうと思います。グローバリズムとは、一言で言うと、世界中を相手に、一番勝ちがすべてを持っていくというシステムです。今回の旅行の中では、スターバックスが一番象徴的に思えました。スターバックスは1971年にシアトルで創業されたという、比較的新しい企業です。にもかかわらず、アメリカ国内での普及にとどまらず、日本を始め、世界中に店舗を持っています。情報が瞬時に世界を飛び回る現代において、流通ルートを確立してしまえば、一気に優位性を発揮できるという象徴を表しています。メジャーリーグにしてもそうです。今や世界中の優秀なプレイヤーが集まり、日本のプロ野球はメジャーリーグの2軍かとも揶揄されるようになりました。

 もう一つは、世界の生産工場としての中国の存在です。かつて、日本製品と言えば、‘安くて性能が良い’と海外で人気がありました。しかし、現在ではその立場は中国に取って代わられています。アメリカ滞在中、ショップで地図、地球儀といった知育グッズを見て回っていても、良さそうなものは‘made in China’となっていました。また、私は個人的にオーディオが趣味なのですが、アンプにしても、中国製品の対コストの性能が非常に高いと感じています。他の国で作られたものの10分の1程度の値段で、最高級品の7~8割程度の音の良さを発揮するものもあります。

 翻って、日本の経済を見てみましょう。ニュースなどでは経済の復活ということが言われています。不良債権の処理が終わり、株高であるなど、一見順調に動き始めてきているようです。しかし、それは基本的に円の金利が安いからです。国際的な水準から見ると、異常なまでの安さです。円の金利が国際水準まで引き上げられた時、今の景気が生き永らえることができるかと言えば、非常に疑問です。

 そういった背景をもとにアメリカから日本を見た時、ドルの復活と円の凋落、つまり、グローバリズムの中での光と陰というものを非常に色濃く感じました。そして、その最も中枢的なことが、通貨としての円の弱さであったのです。

教育においても世界の経済情勢をしっかり見据え、しっかりとした人づくりをしなければいけないと強く感じました。

2007年07月12日

明後日からアメリカ

せっかく公式サイトをアップしたのに、忙しいばかりで更新ができず、申し訳ない。
これでは意味がありませんね。反省、反省。

今年度のテ-マは、メソッドのデジタル化です。
立命館小学校のシステムを土台に、今、山陽小野田市の学校に加えて、京都府八幡市の学校、東京港区の小学校などで新しい実証実践を始めています。
その研究の意味をあって、明後日からアメリカへ行ってきます。
そもそも、このシステム作りは、ずっと以前に掲示板で、海外にいる日本の親子が、私のドリルを手に入れるために、別の国に行ったという話が出発点になっています。
インタ-ネットを使って教材提供ができないか、そうすればまさしくいつでもどこでも誰でもできるのにという思ったのが始まりだったのです。

幸い、DSの「ますます百ます計算」と「かきとりくん」は順調に評価していただき、短期間に計算力がついたという話や集中して「かきとりくん」をやっている子が、一日で一年分の漢字をほとんど覚えたというような話が聞こえてきました。
しかし、何でもやりすぎはいけません。視力には十分注意してやってほしいと思います。

2007年06月21日

京都21世紀教育創造フォ-ラムを終えてⅡ

パネラ-でご参加いただいたのは経済産業省で育休を取ったことで話題になった山田正人さん、堀場製作所の社長の堀場厚さん、そして女優で京都出身の三田寛子さん、そして哲学者の山折哲雄さんでした。

山田さんは、奥さんとの話し合いの結果、中央の官僚でありながら、育休を取られました。やはり、いろいろな批判があったようです。しかし、子どもを育てていると、子どもに育てられている自分を感じると言われました。こうした言葉が多く聞かれるようになることを、教師としては願っています。

堀場社長さんは、さすがに企業のトップらしい提言でした。私は、成果主義の究極の形であるホワイトカラ-エグゼンプションに反対してました。なぜなら、合理的な給与カット法としか思えなかったからです。でも、今の残業時間によって算定される給与だとだらだらと遅くまで残っていることが、給与を上昇させることにつながります。確かにこれでいいはずはありません。堀場製作所は、週休三日の日があるという。それでいて、国際企業として急成長を実現させられています。日本の男の働き方について、もう一度考え直してみたいと考えるようになりました。

三田さんは、私たちにとっては、テレビの中でのアイドルでした。しかし、今は歌舞伎役者の方と結婚され、厳しい伝統芸能の継承にかかわっておられる。歌舞伎という伝統を受け継ぐには、家庭の親子であっても敬語を使う環境に戸惑われたらしいが、今はその伝統を守りながらも時代に合わせ新しい親子関係を追求しておられます。

山折先生は、自らの親子体験を語られ、戦後教育の中で、親子関係も、教師と子どもの関係も平等思想から、水平な関係となり、これが今の父親の存在感をうすいものにしていると指摘されました。このお考えを聞きながら、ある研究会で教師が、子どもに学校や教師の問題点を指摘させるということをやっていることを思い出しました。これでは、教えるということはできませんね。

結果として、わかったことは、結局父親が子どもに伝えるべきこととして重要なのは、人間としての基礎的な価値観や営みだということです。批判の多い現代は、子どもへの教えはとかく細かいが具体的なことになりがちです。でも、大切なのは人を大切にしろとか、時間を守ることがいかに大切かとか、生きていく上での原則のようなものを幼いころからしっかり教えることだということなのです。教育再生会議でも、道徳のことが話題になっていますが、まずこうした道徳の土台をしっかり家庭で教えることが大切なのだろうなと思いました。

次回は、もっといいコ-ディネ-タ-ができるよう、勉強しておきたいと思います。
パネラ-のみなさん、会場のみなさんありがとうございました。

2007年05月22日

京都21世紀教育創造フォ-ラムを終えてⅠ

京都21世紀教育創造フォ-ラムが終わりました。

私は、こんな大きな舞台でのコ-ディネ-タ-というのを初めて務めました。
自分の言いたいことだけを言えばいい講演とは違うため、思いはあったのですが、なかなかパネラ-の意見を引き出すのは難しかったです。ただ、個性的で意義のある意見をお持ちのパネラ-ばかりだったので、聞いている方にはそれなりに喜んでいただいたとは思いますが、もっと勉強しないといけませんね。

その主題を具体的に言えば「現代社会において父親は何を教えるべきか」というテ-マでした。
基調講演は、元全日本サッカ-監督の岡田武史さんでした。

基調講演では、修羅場を通り抜けてきた岡田監督でなけれは言えない父親論を語ってもらいました。
一言で言えば、苦労させることが必要だと言うこと。「監督をやめなければいけない場面もあった。しかし、そんなことはたいしたことではない。」と彼は言い切りました。皮肉屋が聞けば、負け惜しみに聞こえるかもしれないが、そうではありません。こう考えることは重要なことです。

なぜなら、失敗や批判を恐れていると何もできないからです。新しいことをやるのに、不具合が生じるのは当然のことです。失敗のない挑戦なんて、あり得ません。しかし、今の日本は、少々の失敗や不具合に対しても強烈な批判が来ます。あたかも完全な方法があるかのように語り、結果論としてああすべきだったとかこういうものだとか、勝手な評論が乱れ飛びます。やっかいなのは、その批判への対応に追われ、やるべきことができなくなることだってあります。だから、みんなは失敗しないように、余分な準備をして、なおかつ大胆なことはしなくなります。結果、何もやらなくなって、すべてが停滞してしまうのです。そして、停滞を批判します。

現代のトップの使命というのは、批判が起きないようにするのではなく、批判をかいくぐって大胆に進む決断でしょう。トップの仕事とは決断をすることだと言われた岡田さん。私は本当にそうだなと思いました。決断というのは、あれこれ考えても、着実な答はわからない。その環境の中で、それでも決断しないといけないとき、その判断の土台は勘です。岡田さんは私なんかとは比べ物にならないストレスの中で、仕事をされてきましたが、私と思ったことがほとんど同じだったのが何となくうれしく感じられました。

次回はパネルディスカッションの様子をご報告します。

2007年05月17日