北京遠征記 その2

<ビル・ゲイツ氏との対面>

ビル・ゲイツ氏との対面が実現したのは、本番前日の晩餐会でのできごとでした。
実は、翌日の昼食会にも招かれていましたから、対面するのはまちがいなかったのですが、その場での対面は、参加者も多く、儀礼的なものでしかなかったのです。

ところが、晩餐会で、マイクロソフト社の日本社長であるダレン・ヒュ-ストン氏と、新しいプロジェクトについて話をしていると、突然「君はビルに会ったことがあるか。」と突然言い出し、「ない。」と答えると、「そうか、ビルに会わせてあげよう、私についてきなさい。」と、立ち上がって、さっさと歩き出したのです。

 「ええっ」と思い、とにかくダレン氏にあわててついていきました。そして、ダレン氏はビル・ゲイツ氏に歩み寄ると、「日本で、タブレットを実にうまく使っている陰山という男だ。」というようなことを言い、紹介を始めました。
ビル氏は、やっていることを止め、立ち上がり、私についての説明を聞いていました。そして、ビル氏はすばらしいことだというようなことを言ってくれました。
しかし、まだ理性があったのはそこまで、もう私は完全に浮足立ってしまい、もう何が起きているのかわからなくなってしまいました。ただ、「会えてうれしい。」と吠えるしかなかったのです。そして、記念写真を撮ってもらいました。
いやあ、びっくりしたが、実によかった。
(ただ、これはあくまで彼の個人的好意によるものですから、肖像権の問題があり、公開はできません。残念。)

2007年04月26日

北京遠征記 その1

< GLF >

 北京から、帰ってきました。
今回、北京に行ったのは、マイクロソフト主催のガバメント・リ-ダ-ズ・フォ-ラム(GLF)という国際会議への参加と、北京航空大学付属小学校での陰山メソッド実践試行が目的でした。

 まず、GLFですが、何ともエキサイティングな経験でした。
国際会議への初参加というのも、刺激的でしたし、何よりあのビル・ゲイツ氏と対面できたことが刺激的でした。
そして、会議本番でのできごとです。私は約10分の時間をもらって、プレゼンをしました。
現在、進めている「電脳陰山メソッド」の方向性について、話しました。

 アジア各国から政府関係者はじめ多くの方のプレゼンが続く中でのことですし、同時通訳での発表ですから、普段の講演のようにみんなに笑ってもらいながら楽しく、というわけには行きません。
今回は、時間も短いし、失敗もできませんから、完全な原稿を用意して臨みました。それでも笑いを取ろうと、3カ所、自分なりに細工をしましたが、実際にやってみると、笑う人は極めて少数。私は原稿を読むだけで、精一杯でした。そのため終わった瞬間は、挫折感のようなものを感じましたが、同じく参加していたテレビにも時々出ていらっしゃる千葉商科大学学長の島田晴雄先生が、寄って来られて、「非常にすばらしいスピ-チだった。」と言っていただきました。他の、関係者にも、「なかなかよかったですよ。」との評価でした。でも、半信半疑で、どうもすっきりしませんでした。
 ただ、これは帰国後聞いたのですが、マイクロソフト社の幹部クラスでも話題になり、十分な評価が出ているとのことです。いやあ、よかった。

2007年04月25日

立命館

新しい年度が始まって、この陰山サイトも再スタ-トを切り、多くの方にアクセスしていただきました。本当にありがとうございました。私の方も、このサイトに限らず、活動の幅を広げるために、さまざまな基盤作りを始めました。今年一年かけて、多くの方の期待にこたえられる状況にしていきたいと考えております。よろしくお願いします。

さて、掲示板の中で、なぜ立命館に移ったかという質問がありました。一年たったところで、再度お答えしておこうと思います。
立命館に移った理由は、ただひとつ。より多くの方の期待にこたえるためでした。よく、公立から私立に移ったという言い方をされますが、そうではないのです。当時は、多くの仕事を抱え、ありとあらゆるものが限界を越えていました。時間的なもの、精神的なもの、体力的なもの、ぎりぎりでした。そこでそれを乗り越えるために決断したのが、研究職に移ることでした。研究職に移ることで、立命館小学校は当然として、公立や私立の枠組みを越えて、ありとあらゆる方と協力しながら、子どもを伸ばすことができるようになったのです。
そして、一年が終わりました。そして、今振り返って、その判断はよかったと思っています。

そう思う第一の理由は、実践が大きく広がったことです。昨年度、立命館小学校のみならず、山陽小野田市や室戸市、八幡市、佐賀県、宮城県など、公立私立を問わず、生活習慣の改善と読み書き計算を組織的に行うところが出てきました。学校単位ではなく、地域単位での実践は初めてのことでした。
それから、あまり知られていませんが、私が提案した学校教材は、現在十万以上出ており、あれほど非常識と思われた漢字の前倒しも、私の知らないところでも急速に広がっているのです。

理由の第二は、地域の広がりとともに、研究者としてかかわることで、多くのデ-タがそろい、より多くの地域での実践ができる可能性が出てきたことです。現在、この実践に対する関心は、すでに海外でも高まっており、私と共同研究してきた小河先生は、スリランカで百ます計算を広めています。数年前に始まったアフリカでの実践に加えて、今年は中国やアメリカでも実践研究したいという要望が出されるなど、途上国のみならず先進国でも関心が高まっているのです。

理由の第三は、文部科学省の中央教育審議会や内閣官房の教育再生会議有識者委員として、現場の実態を国の中枢部に伝えることができたことです。私の場合、教員免許の更新制に対して疑問を投げかけるなど、全体の方針に対して異なった考えを言う場合があります。正直、そういうとき度胸がいります。しかし、社会に対して学校現場の空気を伝えることも私の大事な役目と考えています。そのためには、多いとき週に3日も東京に行かなければなりません。けれども、それほど改革のスピ-ドは速く、激しいのです。だからこそ言いにくくても、現場の事実を伝える必要があります。十数年前、つめこみ教育批判から来る教材の削減が、社会全体から支持され、今日の混乱を生みました。現場を正確に把握しない改革はとても危険です。

でも今は、私の意見はあまり省みられてないと思うこともよくあります。ただ、それは私の方が間違っている場合もありますから焦りはありません。むしろ、こうして言うべきことを言っておくことで、もし将来、改革がうまく行かないと判断されるとき軌道修正がすぐにできるでしょう。何も言わないことが一番問題だと思っています。
漢字検定では、立命館小学校開校半年で全員受験、全員合格で、文部科学大臣賞を受賞しました。土堂小学校は2年連続で最優秀賞、また土堂小学校方式を採用した尾道市立久保小学校は優秀賞でした。この事実こそが、私の決断の意味でした。

そして、この新しい段階は、始まったばかりです。今週は、いよいよこうした教育にも高い関心を持っているビルゲイツ氏とも会います。今までのみなさんのご支援を感謝し、これからも原点を忘れずがんばろうと思います。

2007年04月16日

近況

お待たせしていました陰山英男 Official Web Site がようやくオ-プンにこぎつけました。
陰山学級物語のオ-プンのときは、何もわからず、一太郎でペ-ジを作ったものです。
書籍の発行にこぎつけるまでは、ここだけが発表の場であり、命綱でした。
今日までのみなさんのご支援に深く感謝いたします。

近況ですが、土堂小学校の実践をほぼ同じ内容で他校に移植するという山陽小野田市のプロジェクトの成果が出てきました。やはり知能指数が4千人の子どもたちの平均として少なくとも5以上は上がっており、短期間での学力向上は可能である、というより短期間であるほど確実にできることがわかってきました。つまり、家庭と学校の連携が必要なので、一気にやる方が効果的だということがいえるのです。

先週の金曜日、教育再生会議の場で安倍総理に直接そのことを報告し、これらを全国的に展開できるよう提案をしました。
総理にもたいへん興味をしめしてもらい、ここから新たな展開ができるのではないかと期待しました。

また、早寝早起き朝ごはんを着実に進めるには、企業の働き方の改善を進めることが必要ですが、どうも早寝早起き朝ごはんでお父さんも元気になるので、企業業績も上向くのではないかという可能性も見えてきました。それで、今度は企業のある部局ごと、早寝早起き朝ごはんに転換してもらい、従業員の子どもと企業業績を同時に上げるというプロジェクトもやる方向で動いています。

また、4月中旬は北京に向かい、パソコン活用にかかわる国際会議に出ます。その場で、脳のトレ-ニングをパソコンを使ってシステム的に行う提案をする予定になっています。その会議には、ビルゲイツ氏も来る予定ですので、直接そのことについて伝えることができるかもしれないと楽しみにしています。

活動が大がかりになってきましたが、私の原点はここにあります。これからも、そこを忘れず努力していきたいと思います。

2007年04月02日

陰山英男オフィシャルウェブサイト開始のお知らせ

初めて自分のホームページを作ったのは今から約十年あまり前の1996年12月27日でした。
最初は何もわからず、一太郎でページを作り、ウィンドウズの機能を使ってアップしました。
たった2枚のページ、でもその2枚のページが相互にリンクしているのをブラウザで確認したときの感動は忘れられません。
それから十年、いろいろなことがありました。
時には厳しい時期もありました。
しかし、今日までネットの掲示板に集うみなさんの励ましがあり、政府の委員を務めるようになれるところまで来ました。
そして、今や、みなさんの思いが現実のものとなるように、より多くの方との交流を広げ、深める意味で、新たに『kageyamahideo.com』で再スタートを切ることにしました。
陰山学級物語の初心を引き継ぎ、子どもたちの豊かな成長のために今後もがんばりたいと思います。

陰山英男


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2007年04月01日