徹底反復学習

陰山メソッド「徹底反復」

徹底反復学習とは、その漢字の通り、徹底的に反復し、完全に覚えきるまで学習する、というものです。ただ単なる『反復』とは違います。『徹底反復』なのです。

徹底反復学習をすることによって、子どもたちがある段階から、覚える能力そのものが高まり、反復学習しているものとは異なる科目までもが効果的に進むようになってきます。子どもたちの学習処理能力が高まり、確かな思考力や学力がつくのです。

実践をするときには、“高速に”学習ができるように注意が必要です。そうすることによって、学習効率が高まり、そこから得られる脳の力が、子どもたちの学習処理を高めていくことにつながっているのです。

つまり、徹底した反復学習をすることによって、子どもたちの学習能力を高め、多用な学習を支え、そして子どもたちの可能性を広げていくものだと考えています。

早寝早起き朝ごはん

陰山メソッド「早寝早起き朝ごはん」

かつては、成績をあげるために、夜遅くまで勉強することが素晴らしいのだと考えられている風潮がありました。

しかし、睡眠時間が短くなればなるほど、集中力が低下したり、成長ホルモンに悪影響を及ぼしたり、そして、学力が低くなるということがデータで示されています。

実際の子どもたちを見てみても、夜遅くまで、眠いのを我慢して勉強をしている子の学力は決して高いものではなく、仮に難しい問題が解けたとしても、簡単な問題でつまずくなど、確かな学力があるとは言えないと気がついたのです。

本当に学力がある子は、早く寝て、早く起き、そして朝ごはんをしっかりと食べています。集中力も高く、学習もサッサとやってしまう能力も身につけているのです。つまり、頭が良いから早く寝ているのではなく、早く寝ることによって頭を良くしていたのだと考えられます。

また、朝ご飯を食べている子と食べていない子では、食べていない子の方が学力は低くなっています。これもデータとして実証されています。 このように、学習効率の高い生活スタイルを考えたとき、『早寝早起き朝ごはん』という、このセットが重要なのです。

国際学力

陰山メソッド「国際学力」

今、若者たちに要求されているのは、世界に通用する学力となってきています。

かつて国際性と言えば、海外で、外国の人たちと対等に向き合っていけるかが問われていました。しかし今は、日本の社会自体がグローバル化し、日本国内の雇用をめぐっても、外国の若者とそれを争うようになってきています。

国際的な学力とは、単に何かを覚えている、知っているというだけではなく、それらを活用し、論理をくみ上げ、自分の考えをはっきりと言葉にし、それをもとに行動していくことが問われていくのです。

こうした逞しさなる学力は、単に基礎的な知識を学ぶだけではなく、それらを活用していくことが必要です。これは、英語ができるなどの語学の問題だけではなく、たえず自分自身の考えを表現していける力が必要なのです。

そうした力は、しっかり書くことによって形成されると考えています。そして、書かれたことをまとめていくためには、スピーチなどのように、短時間の間に自分の思っていることを、きちんと言葉にして表現できる力が大切だと考えています。

漢字8割理論

陰山メソッド「漢字8割理論」

様々な学校で学習指導をしているとき、私は、漢字を出来るだけ早い段階で、高度に学習させることが重要だと言ってきました。

事実、子どもたちが漢字テストで80点以上を普通に取るようになってくると、他の教科の学習までもが高成績になっていくと確かめられています。

私はその理由を、漢字学習は、イメージ力を高める脳のトレーニングだと考えているためです。漢字には、1つ1つに意味があり、それらを学習し、覚えていくことによって、頭の中でその意味するものを考えます。つまり、イメージをトレーニングすることになるのです。

百ます計算のように、単純な計算を高度にやっていく力が一方で必要なのと同時に、ある1つの文字を手掛かりに、あるものを思い浮かべるというイメージ能力は、子どもたちの思考力を高めることにおいて、決定的な役割を果たすのです。

そうした力を発揮させるためにも、早い段階で漢字ができるようになることが重要な道筋になってくるのです。

ビジネス

陰山メソッド「ビジネス」

私は、教師という仕事から得たものをビジネスに応用してきました。

例えば、子どもが伸びる家や、ビジネスバッグ、手帳などをプロデュースしてきました。それらに貫かれているのは、効率的に仕事をするということです。

日本人のメンタリティーは、努力至上主義と言ってもいいかもしれません。しかし、人間には時間も能力も限られており、もっとも効果の高いビジネスをしようと思えば、効率性にこだわらないといけません。しかし、実は意外とそれができていません。

私自身、教育に関わる仕事をする中で、プロとして成果を出さなくてはいけないと、たえず考えています。そうした中、限られた時間と能力の中で、自分のパフォーマンスを最大限発揮できるためにはどうしたらいいのか。そのことを考え、それをビジネスの中で応用し、様々な物のプロデュースをしているのです。

学校の教師は、つぶしがきかない職業で、他の仕事はできないものだと言われていますが、決してそうはありません。むしろ教育を通じて、人間とは何かを追求することによって、様々なビジネス的な発想が出てくるのだと考えています。

暮らし方

陰山メソッド「暮らし方」

なぜ人は働き、人は学ぶのか。それは、人が幸せに人生を過ごすためだと考えています。

しかし、今の日本では、幸せになるために働くのではなく、働くために生きているというような、あべこべの生き方になっているような気がします。そんなふうに、幸せとは何なのかわからない中で、人を幸せにするモノやサービスを思い浮かべることが矛盾をしているように感じます。

ビジネス的な成功は、人を幸せにするということが鍵であり、人を幸せにするためにはまず自分自身が幸せな生き方をすることが重要ではないでしょうか。そのためにも私は今、自分が何をなすべきなのかをしっかり考え、そして、効果的に時間を使って実現していくことが重要になっていくと考えています。

効率的に生きるということは、人間の幸せを創り上げていくことに、もっとも大切なことだと考えています。

先生のために

陰山メソッド「先生のために」

日本の教育は知育偏重になって、問題があるとよく言われていましたが、私はそうでないと感じてします。

事実、学校で先生たちが言うことの多くは、「勉強しなさい」ではなく、「友達と仲良くしなさい」「人を傷つけてはいけません」「自分の身辺を片付けましょう」という、生活習慣的、道徳的なことが多いのです。私は、それはそれで日本の教育の素晴らしいことであり、大切にしなければならないと思っています。

しかし、勉強そのものは、道徳的にやったからと言って身につくものではありません。勉強できない子どもたちが、ゆっくり丁寧に教えてもらえるのは、道徳的に見れば、正しいように思えるかもしれません。しかし、ゆっくり丁寧に教えていると、子どもたちは逆に集中することがなくなり、理解ができにくくなります。

ですので、子どもたちのスピードに合わせるのではなく、テンポやスピード感を大切にし、子どもたちが心地よく学べるテンポを習得し、それに子どもたちが合わせるほうが実は効果的なのです。このように、指導方法というものは道徳的観点ではなく、実証的・客観的な観点に立てば、効果的になってくるでしょう。

一生懸命やっているが、なかなか成果が出ないということをよく聞きますが、それは私から見れば、単に方法が間違っているのにすぎません。多様な実践をするには、絶えず子どもの状態を観察しながら、実証的にすすめることが大事だと考えています。

親のために

陰山メソッド「親のために」

日本の親御さん、とりわけお母さん方の教育に対する熱意には頭が下がるものばかりです。しかし、それが過ぎるあまり、絶えず不安な状態に陥っていると感じるケースもあります。

母親が不安に思っている中で、子どもが自信を持って勉強できるなどありません。むしろ、子育てに正解などないわけで、その時々の子どもの状態を見ながら、これが良いと思ったことを、どんどんやっていくのがいいでしょう。つまり、他者の教えよりも、自分の子どもを観察したところからくる答え、それが正しいと思っています。

私も子育てのことについて書籍を出していますが、様々な物事を考えるきっかけにして欲しいということ以上のものではありません。楽天的な子、悲観的な子、元気な子、注意深い子・・・子どもにはいろんなタイプがあります。どんな子でも、更に良くなりたいという思いでは同じですが、実際に行動する場面になると、様々なバリエーションがあるのです。

そうしたとき、子どものことをしっかり見て、理解し、そしてアドバイスしてあげること。そうすることで、子どもはきっと伸びていくでしょう。

主体的に自分の目を確かにしながら、子育てをしていってください。そうして子どもを見る力が伸びてくれば、子どもが成長していく力が確かなものになっていくのです。

いじめ・体罰問題

陰山メソッド「いじめ・体罰問題」

近年、いじめや体罰が話題になっていますが、人間が未熟な存在である以上、いじめや体罰が悪いということは当然のこととしても、これが完全になくなることはないでしょう。 それは、大人たちが集まって生活していながら、様々な犯罪がなくならないのと基本的には同じと言っていいかもしれません。

しかし、学校の中で起きるいじめや体罰の問題は、関係者がその反省をし、指導や友達づきあいについて考えながら、問題を克服して成長していくべきものです。つまり、いじめや体罰はあるかもしれませんが、むしろそれに触れながら、どのように生きていくのかを学んでいけばよいと考えています。

しかし一方、近年一部の報道にあるような、いじめや体罰というものは、むしろ犯罪です。こうした犯罪と呼ばれるようなものが学校の中に存在するということ自体、あってはならないことです。いじめや体罰の問題と、犯罪にあたるものを区別しながら、克服すべきものと断罪すべきものとを切り分け、学校生活をより良い成長の場にしていくことが重要だと考えています。