最近、一番強く感じていることは、俗に言われる不適格教師の問題です。私は、現場の教師の努力をよく知っていますから、今まで現場教師を弁護する論陣を張ってきました。そして、その結果、がんばる先生を支援しようという声はずいぶん大きくなってきたと感じています。しかし、それでも全体的には学校への信頼が高まっているようには感じられません。いったい何が足りないのでしょうか。
それを考えていて気がついたのが、不適格教師の問題です。
今回行われた教育夏祭りのシンポジウムでも、水泳の指導のとき、先生がまったくプ-ルに入らないという学校の話が出ました。そこでは、何と教師のかわりに保護者にプ-ルに入って指導してもらったというのです。絶句しました。
あり得ないことです。あと少しで25メ-トル泳げるという子は、先生にリ-ドしてもらってこそ、もっとも早く泳げるようになります。教師が子どもの前に立ってリ-ドすれば、水流が起き、子どもは進みやすくなります。そして、絶えず励ましながら泳がせ、プ-ルの向こうの壁にタッチさせれば、子どもは自信と教師に対する信頼を得るのです。
私は、なぜ教師の努力は報われないか、それを考えてみました。反省です。すると、ひとつ大事なことを見落としていました。それは、そうした不適格な指導や教師に対して、自分は何も対応していなかったことです。
確かに、私の経験から言っても、いい悪いの評価を超えた、不適格な人間が教師をやっていると思ったことはあります。そうした教師のために、私自身が苦しみぬいたこともあります。しかし、それ以上ではなかった。つまり自浄作用を働かせることはなかったのです。
学校に対する一般社会の苛立ちの最大の理由はここにあるのではないか、最近そう思うようになってきたのです。きっと多くの方は、今頃そんなことに気がついたのかと、あきれられるでしょうね。
確かに、たとえいい教師がたくさんいたとしても、不適格な教師に当たってしまっている親子にとっては何のなぐさめにもなりません。問題は、そうした不適格教師に対する対応が整備され、改善されるという確信が持てないことでしょう。
そのために、免許の更新制も入ってきました。それは、自浄作用が働かなければ、劇薬を飲み込まされざるを得ないというシグナルではないでしょうか。
そのことについてある教育長とも話しましたが、やはり今の教師は手厚く保護されているため、その対策のためには、他の仕事を犠牲にするほどの労力がいると話されていました。そういえば、私もある教師の問題を見かねて、校長に何とかしてくれと話したことがありましたが、そのときは逆に訴訟を起こされたら、どうにもならなくなると言われ、異動ですまされてしまいました。しかし、その問題はその学校間の保護者同士の話で伝わっており、いかにも学校がその先生を守ったというように見られてしまったのです。
ただその一方で、非常に問題の多い校長のもとで苦しんでいる教師もいます。ゆとり教育の時代、百ます計算をさせただけで、厳しく叱られ、なおかついじめられたという教師の悩みの相談を受けたことがあります。
難しい課題ですが、ここを乗り越えない限り、学校が真価を発揮するのは難しいと思います。つまり、ここが最大の課題だということではないでしょうか。
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