陰山ブログ

新しい指導要領が出て感じること

ついに新しい指導要領が出ました。新聞各紙いろいろな論評がなされていますが、みなさんはどう感じられましたか。今回の改訂に対する私が考える位置づけは、今の指導要領の問題点を整理したというものです。

その一番の特色は、基礎基本の再構築です。日本の教育にける最大の特色は、指導要領によって日本全体の教育内容をまとめ、効率的に学習を進める点にあると私は考えています。いろいろと指導要領の問題点を指摘してきているので、何を今さらと思われるかもしれませんが、日本の指導要領のシステムは、他国のカリキュラムに比べて緻密に作られており、他国に比べてよくできています。

近年、韓国、中国、アメリカ、イギリス、フィンランドなどの国を視察したり、海外の教科書を集めたりして、思ったことです。

ただ、この緻密さが、今の指導要領の改訂のとき、あまりにも大胆に改訂し過ぎて、その最大の長所である基礎基本というものを崩してしまったのです。ですから、今回はこれを再構築し、再び着実な学力向上に結びつけようとしているのです。

では、このできあがった指導要領案をどう評価するかということですが、確かに過密な内容になったなというのが率直な印象です。今回の改訂では、生きる力を育てるという現行指導要領を生かすことと、基礎基本の再構築という両方を意識しました。ですから、現行の指導要領の内容をそのまま残し、そこに前回の改訂時に削除されていたものを復活させ、さらに英語学習など新しいものを入れましたから、過密になっているのは当然です。正直なところ、これが現場で実施されると、混乱は避けられないと思います。今回の改訂について文部科学省の方々から、「大丈夫です。」みたいな発言が出ていますが、楽観論は持つべきではないと思います。

ただ、私が思うのは、混乱するから悪いというのではなく、混乱をどう修正するかが課題だということです。

何でもそうですが、新しいことをすれば、混乱するのは当然のことです。しかし、どうそれを軌道修正し、どう安定的に運用するかみな考えます。しかし、指導要領を作るシステムは大きくなりすぎ、議論ばかりが肥大し、現場での課題をフィ-ドバックするシステムがありません。03年に、指導要領は毎年見直すという建前になりましたが、実質的にはそうなっていません。今のシステムでは無理だと思います。この十年に一回改訂するという大前提を転換しない限り、新しい指導要領の実施に伴う混乱を収拾するには時間がかかってしまいます。

しかし、指導要領作りのシステムが肥大化したのには理由があるように思います。何の意味もなく、肥大化したのではないでしょう。それは、歴史問題に象徴されるように、教育は国内での対立が起こりやすい分野であり、そうした対立を和らげるために、十分な手だてが必要だからです。今回も、道徳の教科化を巡り、教育再生会議と中教審の意見が異なりましたが、両方の委員をしている私としては、正直困りました。

心の教育をしっかりやろうということに、異論のある人はいないでしょう。しかし、教育は、人によって思い入れが強く、ちょっとした違いが肥大化してしまうのです。
でも、対立しやすい分野は歴史や道徳など、限定的です。理数系の教科などは、指導要領の方針と現場の実態を実証的に見ていけば、それほどの対立がなく解決していくことは可能と思います。ですから、対立しやすい分野と実証的に修正できる分野を切り分け、合理的にスピ-ディに解決するしかけを作ることができればいいと私は考えてきました。そのために、私は教育再生会議で、専門家集団である教育院を作る必要性を訴えたのです。しかし、こうした問題意識はそれほど多くの人が持っているわけではありませんので、先行きを心配しています。

今回の報道を見ても、つめこみに戻るのかどうかという内容に対する評価が多く、システムについて論及するものはほとんどありませんでした。私は、学習量が多いか少ないかは、相対的なものだと思います。やるべき学習はやらなくてはいけません。うまく理解できない子がいれば、そうした子をどう支援するかが課題であって、できない子がいるから、カリキュラム全体のレベルを下げるというのは、まったく見当違いのことです。

学習内容は教育の目的に対応したものであるかというのが一番の判断基準ではないかと私は考えます。そして、多少難しくても、それを教えるためにどうするかを、私は考えてきたし、そうするのが現場の責任ではないかと思います。

現代社会は高度な文明と大量のエネルギ-を使って支えられています。その結果、世界中で生産されたものを使って私たちは生活しています。ですから、こうした時代の学習が簡単なもので済まされることにはならないと私は思うのです。つまり、たいへんだけどやっていくしかないと考えるのです。新しい指導要領のもとでは、1割の時間増でこれだけ内容を増やしているわけですから、楽なはずはありません。そうなると、学習条件が次の課題になってきます。つまり、この指導要領の具体的実施に当たっては、教職員の増員や教育方法の改善、教育機器の整備なども並行する必要があると思うのです。
そういうこともせずに、この増えた学習を現場の努力のみに頼って達成しようとすると、混乱しかもたらさない危険性もあります。

教育内容が過密であるかどうかは、こうした学習環境と一体で見ていく視点を国民全体で共有してもらうことが必要だろうと思っています。