少し前になりましたが、教育再生会議が終了しました。
最後の会議は、会議というより、報告書を福田総理に手渡すセレモニ-であったように感じました。1年4カ月の会議であるにもかかわらず、この間にあった激動を思うと、大きな峠をみんなで乗り越えたというような実感がします。人選については、冒頭からいろいろな意見がありましたが、こうしたことでなければ、お会いすることもない方ばかりの集団でした。それが、最後にはある種の連帯感が芽生えたように感じられました。政治への転職やそれにともなう委員の入れ替えなどもあり、会議自体が激動でした。そのためか、会議のあとの懇親会では、ほっとした空気が流れたのはその象徴だったのだろうと思います。
最終報告書を読み、もちろん納得がいかないという人も多いと思います。とりわけ、現場教師には多いでしょう。時々、「あなたはあれに納得しているか」と、私の講演会で私に詰め寄る人もいるくらいでした。
確かにそうでしょう。教員免許の更新制にしても、あの会議の場で唯一私だけが更新を受ける立場の人間でした。当事者になれば、思いが違ってくるのは当たり前です。特に会議がスタートしてからの前半は、叫びたくなるような気持ちになったことが度々ありました。しかし、それがなかなか言えずにいました。残念なことですが、学校に対する信頼がまだまだ十分ではないからこそ、私が苦しんだ結果となったのかもしれません。
確かに今の学校はよくやっていると思います。そこを社会が十分に理解していないと思います。この、社会が理解していない最大の理由は、学校が現状をしっかり伝える努力をしていないことから生じていると思います。私は、国際調査の結果や指導要領の本当の問題点について訴え、理解を求めました。具体的な事実を示し、それを改善する努力を会議の進行と並行して進めました。山陽小野田市や八幡市の先生方には、そのために1年で数値になる答えを求めました。結果、学力低下と生活習慣の崩れの関係を実証するデータがそろいました。その現場の努力は審議の速さに負けなかったと思います。こうして、子どもの伸びる姿と、実証的なデ-タを提示することで、ずいぶん理解をしてもらったと思います。しばらく前にあった過激な改革論は少し静まり、もう一度現場の動きを見ようという流れになりました。
そして、学校をよくするには問題のある教師を批判するより、頑張っている教師を支えることだというように流れは変わってきました。さらに、現場の無意味な多忙も問題にされ、事務量の削減の流れも固まってきました。そして、マスコミや政府からも、現場を支援しようとする声が聞かれるようになってきました。ある知人の教師は、「教師バッシングが減ってきたけれど、これは本物だろうか」と言っていました。自分なりの努力がひとつ報われたのかなと、会議からの帰りに、ひとり思いました。
ただ、これらの結果が出せたのも、もちろん自分一人の力ではありません。いろいろな人の協力があったからこそ、出来たことなのです。そんな皆さんに、心から感謝します。
最後に、ひとつだけ言わせてください。教育再生会議の中で、私は確かに、考えていること、伝えたいことを、言いたいように言ってきましたが、あの会議の中で発言することにはかなりの勇気がいりました。こう言うと、苦笑する人もいるでしょうが、本当に一回一回緊張していました。会議で何を言うかを考え、眠れない日もありました。
何はともあれ、私の予定表から“教育再生会議”という文字がなくなりました。中教審などまだ重要な会議もあるので、束の間のことなのかもしれないが、やはりほっとしています。
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