9月30日に、ケンブリッジ・イートン・フィンランドへの視察を終え、帰国しました。
その中で、フィンランドの、小学校・中学校の授業視察を通して、その教育現場の実際や、感じた事を皆さんに報告しようと思います。
まず一番驚いたことは、小学1年生の教科書が大変分厚く、その内容が高度で、難しかったことです。
フィンランドの教育というと、一般的には、平等性を重んじ、落ちこぼれを出さないことに主眼を置いた教育だと言われています。しかし、実際の教科書の内容というのは、1年生の段階から、非常に高度なのです。ですので当然、落ちこぼれてくる生徒が出てきます。
このような時、日本では、“落ちこぼれた生徒の学力を高めましょう”といった考えを、まず持つ方が多いでしょう。しかしフィンランドでは、落ちこぼれた生徒だけを見るのではなく、“全ての子どもたちの学力を高めましょう”という考えが出てきます。これは、教育を行う上での前提条件となっています。日本の考えより、よりアグレッシブな、高度なものを狙ったものだということを感じました。
小学1年生のみならず、小学校・中学校の全体を通して言えることは、とにかく、教科書の文字が多いことです。そして、徹底して、教科書を読ませることが重視されています。このようなことから、『フィンランドの先生は、“学習する”という言葉の変わりに、“読む”という言葉をよく使う』ということが、ある本に書いてあったのを思い出し、「なるほど。」と納得しました。
このように、非常に高度な内容を早い時期から読ませ、そして、様々な学習作業をさせています。ここが、フィンランドの教育の大きな特徴と言えるでしょう。
もう1つ特徴的だったのが、生活単元学習です。
例えば、小学校1年生では、学校に生息しているキノコを、自分たちで採ってきます。それを図鑑で調べます。そして、調べた内容を、国語の時間にまとめます。ここで、キノコの情報が、生徒の頭の中に詳しくインプットされます。その情報を元に、図工の時間に、紙を使ってキノコを作っていました。
このように、ごく身近にある、1つのものを主体として、国語・理科・図工などの他科目に、連鎖的に広げられるように工夫されていました。
私も担任時代、例えば、“食べる”や、“空を飛ぶ”ということなどを意識して、他科目にも連動させることをしていました。しかし、私がやっていた、他科目に連動させる授業と、フィンランドのそれとは、徹底的に違う点がありました。それは、『キノコを使う』ということが、ちゃんと教科書に書いてあったことです。私の場合、教科書に書かれていないことも、その重要性から、よく授業内で実験などを行っていました。
このようにフィンランドでは、ある素材を核にして、どこまで他科目に広げていこうかということが、きちんと文章化・共有化されているのです。
また、『キノコを使う』と教科書に書かれた以上、どこにでもキノコが生息していなくてはいけません。しかしそのような心配は無用で、都市部であろうと、当たり前かのように、自然がたくさんあります。フィンランドのような生活単元学習を日本で行おうとしても、十分に出来る環境ではありません。
このことから、生活単元学習が重視されている国は、それに必要な社会環境が整備されています。ですので、教育というものが社会の中心核にしっかり位置づけられていることが、非常に特徴的でした。
先生方については、自分の授業に、非常に自信を持って行っていたことが印象的でした。さらに驚くことに、「私は、こういうつもりで授業を行っています。」ということを、皆さんが、英語で堂々と話されていていました。フィンランド語が会話の中心になると思い、フィンランド語の通訳の方も頼んでいたのですが、実際には、ほとんど英語での説明でした。
今まで、韓国・中国・日本を中心に、多くの学校視察を行ってきましたが、フィンランドの先生方のように、英語で意見を述べる先生には多く会った記憶はありません。ですので、普通に英語を話されている姿が、ややショッキングに感じました。
このことから、日本の英語教育の遅れを感じ、世界の中で取り残されつつある、日本の教育を感じました。
フィンランドの視察を終え、今強く思うこと。それは、日本の教育改革というのは、日本国内の問題を、日本のやり方で克服しようとしています。ですので、克服しようとするほど、教育の流れが日本的になってきます。これでは、ずっと狭いところで堂々巡りしてしまうだけです。
望むならば、もう少し海外に目を向けて、今、世界では何が行われているのか、日本の教育は何を必要とされているのかを、一から考えていく視点を持たなくてはいけないように思います。
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